OUT ♯406 CD「Better than new」高野寛
懐かしい。多分中学生か高校生の頃に購入したものだと思う。調べたら1990年に発表されたミニアルバムだった。4曲しか収録されていない。
中学1年生までクラッシックとイージーリスニング・ワールドミュージックしか聞いていなかったのだが、中学2年生の時にJ-pop好きな友達ができた。その子の影響でエピックソニー系のミュージシャンを好きになった。深夜の音楽番組もチェックするようになり高野寛さんのことも知った。「虹の都へ」がリリースされたころだと思う。そして「ベステンダンク」が発表され、このミニアルバムが発売した流れだと思う。
改めて小冊子のクレジットを見ると「ベステンダンク」と「RING」は高橋幸宏がドラムを叩いている!当時はドラマーまで意識していなかったなぁ…高野氏と高橋氏の親交はpupa等で知っていたが、こんなに昔からつながりがあったとは知らなかった。プロデュースはトッド・ラングレン。思い起こすとトッド・ラングレンの名を知ったきっかけは高野寛だ。アルバム「Cue」や「Awakening」もトッド・ラングレンプロデュースだった。
クラフト感ある豪華なケース・小冊子のデザインも当時の私に大きく影響を与えた。ちょっと不思議な感覚を与えるコラージュだ。数年後私はジョセフ・コーネルやエルンスト、キリコといったシュールレアリズムのアートを好きになるのだが、その源流になるような体験だったように思う。デザインは伊藤桂司。当時CDジャケットのアートディレクションではよく見かけた名前だ。スチャダラパーやテイ・トウワのCDも伊藤氏の手によるものだったはず。それにしても段ボールのケースをくりぬき中央に3インチCDと手のひらサイズの小冊子を収めるという手の込んだジャケットだ。当時は今よりCDが売れる時代だったとはいえ、かなり意欲的な作品だっただろう。今にして思うと90年代はCDジャケットに遊びが本当に多かった。特典も多かったし渋谷系アーティストを中心に変形ジャケットが百花繚乱の態だった。伊藤桂司や信藤三雄といった渋谷系の立役者ともいえるアートディレクターが次々に新しい作品を生み出していた。渋谷系は世界のインディシーンと同期した洗練された音楽が支持されたものだったが、おしゃれなアートディレクションとミュージシャン自身のライフスタイル(ファッション、レコードショップ巡り等)も同じくらい重要な要素だった。
優等生が多い進学校(進学校にも2種類ある。地頭がよく破天荒な学生が多い学校と、性格が従順で努力型の勉強を厭わずにできる学生が多い学校だ。私が通っていたのは後者だった)に通っていた私は音楽的に趣味の合う友達がおらず、一人きりで渋谷のHMVやWAVEに通っていたのを懐かしく思い出した。